近況

  家に籠もって3ヶ月近くになりました。仕事や生活の構造が一変して、最初はとまどうばかりでしたが・・何とか慣れたのかもしれません。「これからが本番」そうした私の思いはなかなか理解されないみたいで「仕事のなくなった老兵」としてしか思われないようです。

だれかが言ったように「存在が精神を規定する」のでしょう。金銭的余裕がない・・という事が意識を一変させるみたいで・・生存本能が発現するというか・・気取りがなくなりました。どちらにしても「老人は思いが空回り」するもので・・カフェで瞑想している老人を見ることが多くなったのは・・自分もそうなったからでしょう。

最近「絵を描く」ことを途中で止めて・・「考える」ことに集中しています。18世紀から19世紀にかけてのドイツの芸術思潮を追いかけていますが・・20歳ころには関心があった「ゲーテ」や「ハイネ」やクラシック音楽も、門口からのぞいただけでしたから・・この歳になって初級的知識しかなくて困っています。フランス中心の美術史を当然のこととして受け入れていましたから・・ヨーロッパ北部の文化を理解するのは大変です。

美術の「進歩史観」古典主義から印象派・キュビズム・シュールリアリズム・・抽象・・コンセプチャル・・そうした史観に「違和感」を抱いて・・写実を見直してみたいと思っていますが・・・・これも一種の「流行」ですから軽薄なのかも知れません。

昔の美術受験雑誌「アトリエ」を見ていましたら・・・セザンヌ主義・・・みたいものを感じました。山口薫・久保守・寺田春壱など芸大教授総出演みたいな「アトリエ」なんですが・・「感性」「個性」を全面に出したコメントで・・石膏像を描いているんですが、単なる触媒のような扱いでした。自分自身がそうした事に「違和感」を感じてこなかった事・・つまりそうした「造形主義」に洗脳されていて気がつかなかった・・事に逆に驚いたのでした。

「美」なるものが、現実生活の中で生きている・・のに「美術」はすっかり「非美的」な芸術状態を追いかけるようになって・・・一種知的遊戯の世界に入っているように思っています。高校教師として文化祭に長く関わってきましたが・・今世界で行われるビレンナーレが高校文化祭と構造としてはそれほど違ってないように感じてなりません。

「美」というものが商売になる世界がある。・・それは美容だったり、服飾だったり、整形外科だったり、エステだったりします。建築もその内に入るかも知れません。モダンデザインが理想とした「世界の美化」が実現していった時代が20世紀で・・それは人間を取り巻く環境がすべて「デザイン」となり、虫の食った柿・・など見ることもできなくなり・・現実からリアルというものが消えていったのです。

千葉の半島南部ですら、舗装されない道がなくなり、海岸べりに自然に生えた花もなくなり海岸はすべて「公園」としてデザインされているのですから・・・・。

そうした「造形主義」は終わったのではないか・・と考えています。それをポストモダンと言うのかは知りませんが・・・古めかしい17世紀・18世紀を考えることから何かが生まれるのではないかと考えています。

 今、文学者「トーマスマン」を追いかけているのですが・・18世紀的課題解決を20世紀に至るまでやってた人みたいです。ドイツという社会が・・ずっと中世を温存してきた国だったからでしょう。・・・そして何故 分野違いの「マン」に関心を抱いて来たのかと考えると・・・彼が「創作の秘密」みたいな事をずっと考え続けてきた作家だったからでしょう。

・・・こんなことを最近は考えています・・・・