トーマス・マン1

 私はここ4年ほど再復活みたいに「トーマス・マン」にはまっている。中学生のころからマン愛読者だった記憶がある。 <・・・彼女は彼の前を前後左右に歩いたり回転したりする。すると、彼女の髪の毛からか、あるいはドレスからか、一種の芳香が彼の鼻先をかすめる。・・・・・僕は君が好きなのだ。いとしい可愛いインゲ、とかれは心の中で呟く。・・世にも美しいシュトルムの詩の一節が心に浮かんできた、「いねましものを、踊らむとや」> 今引用してもどきどきします。引用の場面は舞踏会デビューのための練習場面なのす。(今でもオーストリアでは上流階級のお嬢様はヨハンシトラウスの曲に合わせて踊る大きな舞踏会があってそのための練習をしているのをTVで見たことがありました)

 上の文は「トニオ・クレーゲル」です。<芸術と実人生の矛盾>というテーマをマンは35歳くらいまでずっと追いかけたといいます。日本で言えば太宰治みたいに、実家の家業をせず、グータラと小説などに関ずらわって身をもち崩していく・・そうしたテーマを追求します。ゴッホは生前に絵が売れなかった。モジリアニは画商がストックしていてやはり生前は全く売れなかった。セザンヌは銀行家である親の財産を食いつぶした・・・芸術に関わる人間が出るようだとその家は終わり。確かにそれが常識だった時代があります。

<生活の楽しみ・・芸術のオタク性・・精神(二次元)と実人生(リアル)・・商売(利益)・・精神と身体・・社会階層と芸術・・インテリと庶民・・>相容れない矛盾を書き出しましたが、それぞれの芸術家にとって自分の置かれた条件によってこうした矛盾が立ち現れるのだろうと思います。マンにとってはマンの置かれた状態に応じてです・・・こういう風にマンを相対化して見たらどうだろうかというのがこの文の趣旨です。

 マンはドイツ・リューベックの長く続く豪商の出身である。ドイツの豪商とはどんなものか私はまったくしらないのだが、日本で紅花の商家を山形で見学したことがあり、私たちが考える商人とはかなり違っているのに驚いた。今の家と違って、家族がそのまま会社であり、当主は社長であり、身内のものがいて・・雇われている使用人がいる。つまり「家」がそのまま業務に対応し、船(北前船)の運用や紅工場や紅栽培や労働規律などのノウハウを「家」が継承しているのに驚いたものでした。旦那と使用人にどのような格差があり、その格差のまま狭い場所で寝起きしている・・ちょっと想像できないことでした。マン家でも使用人は石作りの本館に隣接する木造の女中部屋に置かれたと書かれています。リューベックの町が没落しはじめたのは国際貿易の拠点をハンブルグに奪われたためだといいます。この没落が交易拠点の問題なのか・・産業革命のため単純商業の位置が後退したのかは知りません。(17世紀オランダの繁栄が、18世紀には没落してしまうのと同じ原因かも知れません)

マンの家はマン的に言えば「俗人=市民」なのですが、決して拝金主義のなりあがり商人ではなく長く積み上げて来た文化性があるように思います(ドイツ流にいうと文明であっても文化ではない・・ということになるかも知れませんが)言葉も日常生活にフランス語が使用されたり、詩人が出入りするとか・・今のTPP論争みたいな「関税同盟」の是非が論じられるなど決して無知な人たちではなかったろうと思います。時代は違いますがフィレンツェのメジチ家の繁栄には簿記・手形・利子などの会計力が関係していると思えます。そうしたノウハウはマン家でも引き継がれていたと考えるべきでしょう。
 ドイツの「文化=精神」という発想はかなり長く続いたようで、精神=善なるもの=神という発想と、商売=ユダヤ的で穢れたもの・・という思い込みがぬぐえなかったのではないかと思っています。(素人ですからそれを資料で示すことはできませんが)トニオ・クレーゲルでは最終章で「市民的芸術宣言」をマンはするのです。私の筆を待っている現世の諸々のことごとがある・・って。文で見る限り私には「社会的リアリズム」への歩み行きが始まるとしか読めなかったのですが・・・現実にはマンは「国家主義」「保守主義」で、早めに進歩の方向に歩みだした兄のハインリヒ・マンとは違ったゆっくりした進歩しか見せないわけです。(社会を、人々を描き出す・・という方向性と認識のギャップを延々と引きずるのがマンらしさなのでしょう)